「はじめに」の記事で述べたように、初日は福岡へ。

京急線の始発を乗り継ぎ、一路羽田空港へと向かった。羽田空港にはAM5:30前に到着。今回は当日中に那覇へと乗り継ぐため、手荷物を乗り継ぎ扱いにしてもらう必要があった。予約番号が異なっているので、自動手荷物預入機の近くにいる係員に申し出る。5分ほどの手続きののち、乗り継ぎ扱いにて自動チェックインが可能となった。手荷物タグも自動で出力され、セルフでの預け入れになった。イレギュラーな旅程にも対応できるシステムには感心である。
5時55分ころに保安検査を抜けたが、検査場が渋滞していたこともありその頃には6時25分発の3便に向けた保安検査が優先扱いになった。案外ギリギリであった。
JL303 HND6:25→8:50FUK
始発便であるのにもかかわらず、離陸待ちにより遅延が発生。


JL303はほぼ満席状態でRWY05を離陸、お台場・ディズニーリゾートを左方に見ながら上昇し旋回、横浜市上空を通過し一路福岡へと向かった。折角のA359だが、眠かったので爆睡。
起きてみると、先ほどの離陸遅延および強い向かい風により福岡到着が15分遅れるとの知らせがあった。その先の乗り継ぎがあり多少心配になったが、手荷物を那覇まで預けっぱなしにできるため、降機後すぐに地下鉄へと向かい、なんとか間に合わせることができた。
博多南線 9:14博多→9:22博多南

ところ変わって博多駅。タイトな乗り継ぎとはこれのことでした。330円で乗れる新幹線である、博多南線へと乗車。降機から30分ぐらいしかなく、これを逃すと1時間後だったが何とか間に合い一安心。
博多南線の乗車率は、平日・ラッシュの逆方向ということもあり2割程度。東京方の乗車位置に列が集中していたのは、博多南駅の改札位置の関係だろう。
新幹線にしては静かで、凡そ時速130kmぐらいであろうゆったりとした走行のまま、九州新幹線の本線との分岐においても一切揺れることなく博多南駅に到着した。


なるほど確かに博多南駅は車庫の真横であり、そしてそれを売りにしたマニア向け顔ハメパネルなどがあった。また駅ビルはバスターミナルとして機能しており、さながら小さな都市の中心として機能しているようだった。
ラーメン二郎 朝倉街道駅前店に向かう
博多南駅からは西鉄バスにてJR春日駅へ向かった。福岡を席巻する西鉄バスであるが、そのダイヤは緩く時間調整が多かった。最終的に8割ぐらいの座席が埋まる感覚でJR春日駅に到着。高架道路の上のバス停というのも珍しいと思った。

この頃には写真からもわかるように大粒の雪が降る寒さに。沖縄想定で多少薄着で来た筆者はかなりつらい思いをした。
春日駅からのJR線は車両点検で遅延しており、12分遅れで10:04頃に鳥栖行きの普通列車がやってきた。こちらもラッシュ逆方向でありガラガラ。ダイヤ乱れもあってか、淡々とした走行であった。途中二日市駅にて臨時に特急の通過待ちがあった。この区間の鹿児島本線は、あまり国鉄らしくなく相対式ホームの駅が多いうえ、駅間も短い印象があった。後で調べてみれば、この春日駅や下車する天拝山駅など、平成初期に開業した駅が多いようであった。

天拝山駅には10:20頃に到着。5分ほど歩いて、ラーメン二郎朝倉街道駅前店に並んだ。開店1時間前であったが、前方に9人ほど並んでいた。時折雪が激しくなるほどの寒さで手がかじかみ、待ち時間はたいへんにしんどかった。足先の感覚がなかった。11時頃になると、さらに後方に10人ほど並んでおり、当地での人気が感じられた。少し早めの11時20分頃に開店、ギリギリ最初の着席組になった。ラーメンは2ロット目となり、入り口近くの席へと誘導されたが、結露のためドアを閉めることができず、やはり寒かった。
肝心のラーメンについては、麺の太さ、脂身ともにスタンダードな二郎で「手堅くまとまってる」というべきであった。豚は少し硬めだがこの味なら硬い方が締まると思う。野菜がもやし寄りかな、という印象であった。


博多市内観光
ラーメンを食したのち、最寄り駅の西鉄・朝倉街道駅から福岡市内に戻った。
西鉄電車は3扉クロスシート。首都圏のグリーン車並のイスで追加課金がない店は、関西の新快速や近鉄の急行とも近いサービス水準であり素晴らしい。ところで西鉄電車は100周年らしく、ラッピングの車両が来た。急行電車のわりにこまめに停車する感じがした。

福岡市地下鉄の一日乗車券を所持していることもあり、薬院駅で西鉄電車を降り、地下鉄へと乗り換えた。余りにも寒くてつらかったので、博多駅の駅ナカで抹茶を飲んで休憩した。
福岡市博物館
ちょっと長めの休憩を挟み、次は福岡市博物館へと向かった。

博物館の最寄り駅である西新駅周辺は、どうやらサザエさんの原作者が住んでいたことがあるらしく、それを利用した町おこしをしていた。サザエさんといえば桜新町、というイメージが強かったので勉強になった。博物館自体は西新駅から徒歩10分ちょっとかかり、寒さも相まって遠く感じた。

地域の博物館というのは、中央政府と違った地域自治体のスタンスが如実に表れるので面白い。ここ福岡は「アジアのリーダー都市」を標榜しており、古くから大陸との交易の中心地であったことも相まって、これらを前面に押し出した展示手法がとられていた。倭奴国王の金印を見られて、「これが教科書のアレかぁ〜〜〜」となった。また、福岡市内の遺跡の多さにも驚いた。
一方で、入り口のあそびコーナーはどこにでもあるような感じがして、コンセプトがちょっと安直だと思った。
帰路は、ちょうど西南学院大の入試があったらしく、高校生で駅までの道路がごった返していた。が、制服で入試に来ている高校生が多い印象であった。筆者が受験生だった頃は普通に私服で行った記憶があるので少し驚いた。
箱崎宮
ゆっくり動いたことで丁度良い時間になり、地下鉄で空港に向かおうと思った矢先、搭乗予定のNU63便の出発遅れが見込まれるとの通知が入った。そこでFlightRadarを確認してみると、前運用のNU58がいまだ那覇を出ていないではないか。そこで箱崎宮へとお参りをし、今年の勝利を願うこととした。

西新からは、箱崎線直通の地下鉄で箱崎宮前まで1本。駅を出るとすぐに鳥居があった。

楼門には「敵国降伏」の文字。戦意が高いなと思った。境内はそれほど広くないのだが、建物の配置もあり解放感はあった。

また、福岡ソフトバンクホークスおよびアビスパ福岡のサイン入り絵馬が奉納されていた。ホークスといえば、我らがベイスターズと昨年日本シリーズで対戦した相手である。今年も健闘を祈りつつ、ファンとしてはやはりベイスターズのリーグ優勝、そして再度の日本一を願うのである。
RTAのような滞在20分を通し、今度こそ福岡空港へ。到着は本来の出発時刻の30分ほど前である17:55であった。


この時点では出発時刻は未定。何かあっても困るしと、沖縄での同行者にせがまれた通りもんを買って、さくっと保安検査を通過したところで、出発時刻が18時と告知された。ラウンジでゆったりしようと思ったのだが、5月までのラウンジ利用権があと2回で、そのうち1回を帰りの那覇、もう1回は次の次の旅行の羽田で使おうと思っており今回は温存した。カードラウンジはちょうどいいものがなかったので、出発ロビーにてただひたすら待機することになった。
結局、再度の出発延期が入り、出発時刻は18:30となった。こんなんだったら夕刻の雪と絡めて飛行機でも撮っておけばよかったと思ったが致し方あるまい。
NU63 FUK18:44→OKA20:38

日本トランスオーシャン航空(JTA)はJALグループでありながら、沖縄に本社があるという特色を活かし、独自性のある運用を行っている。たとえばJALの搭乗BGMはI Will Be There With You1であるが、JTAでは島唄など沖縄にゆかりのある楽曲が、そのへんのスーパーで流れてそうな感じのアレンジで流れている。18:36に搭乗完了しドアクローズ。その後のアナウンスも、最初にうちなーぐちでの案内が行われた後に日本語→英語の順で実施された。1時間遅れではあったものの、このようなBGMを聴くと、「まあいっかw」という気持ちにさせてくれるから面白い。
機内誌もJAL本体と異なり、沖縄に特化した内容で読んでいて面白かった。今回は機内Wi-Fiが故障していたので、一冊読み通してしまった。観光の参考になりそうな内容であった。Wi-Fiの故障、そして天候の問題、夜間飛行や道中に大きめの陸地が一切ないことから、どこを飛んでいるのかまるで分からず、まるでディズニーのストームライダーとかスターツアーズのようなアトラクションにのった気分になりながら1時間半の飛行を終えた。那覇空港には20:29に着陸した。東シナ海の海上に張り出している空港でもあるので、いきなり滑走路が現れた感じがした。
この日は沖縄在住の知人と会食をする予定であったが、離陸から着陸まで連絡を取れず。結局1時間も遅れてしまい申し訳ない…と思ったら先方も残業祭りで結果的にちょうどよくなってしまった。

那覇市内会食
福岡8時間待ちというイレギュラーな乗り継ぎにも対応した手荷物はターンテーブルから案外早く出てきて、那覇空港駅20:52のモノレールに乗車し、市立病院前駅へと向かった。


那覇空港駅は日本で最も西にある駅(最南端は赤嶺2駅)でありその記念碑があった。折角なので現地のICカード、OKICAを購入しホームに上がるとそこには大混雑の列車。どれほど混んでいるかというと21時台の新横浜からの横浜線下りぐらいは混んでいました。大荷物の客が多いとか奥まで詰めないとかそういう意味合いも込みで。
大混雑のモノレールも、県庁前駅、旭橋駅を境に徐々に混雑は緩和され、下車する市立病院前駅ではゆとりある状況となっていた。とはいえ早く3両化しろ。
市立病院前にて下車し、知人おすすめの居酒屋「あまいか」に行こうとしたが遅延のため閉店時間に。結局車に乗せてもらい、隣駅の古島にある居酒屋「ふくぎ」へ。様々沖縄料理をアラカルト的にいただいた。
なかでも面白いと思ったのが、チヂミに近い食べ物である、写真のヒラヤーチー。

軽く食べられる「粉もん」で、紅生姜の風味も大変によかった。その他にはてびちやソーメンチャンプルーを食べ、オリオンビールを飲んだりと、初日から沖縄を満喫することができた。てびちは骨が太いなと思った一方、昼に食べた本土の豚とは真反対で、柔らかさがあり、脂身が充実していながら胃にもたれない触感がよかった。
テックステーションから発売されるH27編成のことをはじめ様々会話したが、
「何をするにも一旦島を出なければならないというのは、おでかけには大変」というコメントが印象的だった。内地の人間からすれば「非日常」を味わいに、離島である沖縄に向かう一方で、そこに住んでいる人間からすれば、離島であることが様々な制約を産んでいる。この二面性は私の思考に対して、ちょっとしたスパイスとなった。
その後、先に沖縄入りしていた、前半3日の連れが宿泊している沖縄市のホテルへと向かった。今回会食した知人に送って頂き、大変感謝している。
ここで知人曰く「沖縄道のETCは開くのが早い」と。ほんとかいな?と思ったら確かに体感速い。そこで帰った後に調べてみると、確かにそうであるらしいことが分かった3。なかなか面白い発見であった。
日付も変わってしまったので、早々にシャワーを浴び、この日は就寝した。
- 普通に泣き曲だと筆者は思う。 ↩︎
- モノレールには石嶺駅もある。沖縄においては地名から苗字が作られる例が多いので、直ちにモノレールとの関係を指摘することはできない ↩︎
- https://corp.w-nexco.co.jp/corporate/release/hq/h22/0222c/pdfs/01.pdf ↩︎
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